【集中連載】鳥インフルエンザ~SARSの教訓から拡大する鳥インフルエンザに備える②~

 2014年1月31日から集中連載にてお伝えしている鳥インフルエンザのブログ、第2回です。

 2003年4月から5月にかけて、中国ではSARSの感染に震え上がりました。当時私はまだ駐在員として上海に赴任しており、上海・大連にそれぞれ現地法人を持っておりました。そのような中で日々、中国の至る所でSARSの新たな感染者が見つかり始め、私たちも今日はどこの省で、市で、という具合に報道に噛り付いていたことを思い出します。SARSは当初、広東省に生息しているハクビシンから感染が始まったと言われておりましたが、実際はキクガシラコウモリというコウモリ目の一種が保菌していたことがわかりました。現在の鳥インフルエンザとは違い、明らかに人から人へ感染していき、一旦感染したら重症に陥るウイルス性の高いものでした。

 当時上海市では、とにかく感染地からの人の移動を水際で防ごうということで、感染地から上海に入境してくる人をすべてシャットアウトし、街中には消毒薬が散布され、会社のオフィスにも手洗い用の消毒薬が配給されました。お客様を訪問しようとしても、必ずオフィスビルの1階には白衣をまとった医師と看護師が待機していて、入館する者すべてに対し体温チェックを施しています。異常がなくてもそのままオフィスには行けず、お客様に1階ロビーまで迎えに来て頂けないと階上へ上がって行くことさえできません。私たち駐在員としては、発熱したが最後、必ずどこかでチェックの網にかかり、そのまま隔離されてしまう恐怖感があったため、風邪ひとつ引くこともままならず、解熱剤を持ち歩くのが常態となり、気分的な要因もあるのでしょうが、少し具合が悪くなると直ぐに服薬を繰り返すなど、健康管理には非常に注意を払わされることになります。タクシーなど公共交通機関も走行中にはすべての窓を全開して走ります。車内にウイルスが留まるのを防ぐためです。レストランに行っても授業員はマスクと手袋をはめて給仕をしています。ホテルも、上海ならば銀河賓館、虹橋賓館、新錦江飯店など、主だったホテルは日に日に休業が増えていきます。そのうちレストランなどの飲食店も店を閉め始め、夜は8時を過ぎた頃になると街が真っ暗になっていきました。従業員たちも仕事が無くなってしまったため、やむを得ず上海に留まるもの、地方の実家に戻るものなど、悲喜こもごもです。~次回につづく~(清原学)

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