人事評価、公平性の陥穽と本筋論

 春季の昇給時期が近づいてきた。多くの企業は人事評価を行うのだが、ほとんどが我が社の制度は不備だと感じている。もっと公平かつ客観的に評価ができないものか、という悩みだ。しかし、人事評価に過度に公平を望むと往々にしてボタンを掛け間違えることになる。今回は、「人事評価、公平性の陥穽と本筋論」について述べたい。



 人事評価制度を見直したい、という方が異口同音に言われることがある。それは、「賞与や昇給の決定について社員に対して説明がつくものが欲しい」、「やればやっただけの見返りをすべきだ」というものであるが、これは人事評価の本筋論ではない。確かに「人事評価は金の公平な配分のために行うものだ(それ以外に何があるのだ?)」という認識は間違いではないし、素朴なご要望ではあるが、これは経営から見た人事という機能の一部でしかない。そして素直にこの要望に沿って作った人事評価制度は本筋を外れているため、経営と人の成長に資することなく、自然消滅してしまう例が多いのである。


 それはなぜか。公平性を真剣に追求すると客観的指標が次々と必要になるが、これが制度を複雑化させ、書式と運営を肥大化させる。そして導入後に現場の長から上がる悲鳴は、「評価のために仕事をしているのではない!(もう決まっているに何を面倒なことをやらせるのか・・・)」。この声に人事担当者は自信作を否定されて愕然としながら、渋々とシンプル化を目指す。すると今度は現場の社員から上がる声は、「評価すべきことはもっといろいろあるはずだ。これでは大雑把過ぎて上司の恣意に流れるのではないか」。担当者は板ばさみになり、最後はどこかおかしいと思いながらもお茶を濁さざるを得ない状況に陥る。人事評価の制度化を試みる企業は、程度の差こそあれ大抵はこの道を辿る。これは、制度の主旨を「金の配分」に置くからこうなるである。社員への趣旨説明でも、金の配分の公平性、客観性、納得性を謳うため、当然、社員の意識も「損をしないためにはどうするか」に向く。損をしない基準を求める社員と説明に腐心する上司・・・何とも奇妙な構図である。これではまったく経営の役立たないどころか、組織風土をギスギスしたものに悪化させ足を引っ張ってしまうのではないだろうか。もちろん公平かつ客観的基準が不要だと言っているのではない。経営から見た人事の本筋のアプローチ(原理原則)から落とし込んでも、やはり何らかの基準は設定することになるが、これは「出来不出来を見る計測基準」ではなく、「成長を見る基準」となる。この差は大きい。この原理原則はシンプルで、昔から何も変わっていない。それは、



どのような会社にしていきたいのかという意思を固める。
 (経営方針の決定)
それにはどのような人材(能力や行動)が必要なのかを検討する。
 (期待人材像の設定)
期待人材像への成長過程を職種別階層別に落とし込む。
 (グレード要件の設定)
成長を後押しできる報酬制度を設計する。
 (給与制度設計)



というものである。この人事制度の骨格を作らないと、付随イベントである昇給や賞与の人事評価も単なる金の配分に汲々としたつまらないものになってしまうのである。



関連blog記事
2006年11月1日「人事評価理由を明確にする「PDRの視点」」
https://roumu.com
/archives/50779362.html


(小山邦彦)


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