年金騒動を斬る(2)年金のそもそも論

 公的年金はその制度の違いこそあれ先進諸国のほとんどが導入しているが、これは社会の安定を目指す遠大な国家戦略である。その国で、生きて、働き、一人ひとりは微力ながらも全体として国家を支え、やがて年老いて働く能力が衰えたとき、最低限の生活ができるように国家が扶助する。さらには障害や遺族に対する保障も用意する。これによって、ある程度ではあるが、社会不安を払拭し、国家に対する求心力を高める効果もねらう。ゆえに年金不信をいたずらに煽り、社会不安を惹き起こそうとするのは、言い過ぎかもしれないが反社会的行為である。この煽動によって年金の未加入者や未納者が増えれば年金収支(賦課方式)にダメージを与える。結果、まじめに保険料を支払っている人がその未納者分を回りまわって余分に負担することになる。さらに問題なのは、将来それらの人々が低年金もしくは無年金に陥った場合に税から生活扶助を受けるようになるとしたら、それこそ不公平・不当である。(もちろん低年金、無年金は制度上の問題で生ずることがあり、これはこれで救済をすべき課題がある。)確かに厚生労働省や社会保険庁の年金行政は失策や課題山積ではあるが、年金制度自体の根本を揺るがすものではない。


[年金は貯蓄ではない]
  非常に多くの人が勘違いしていることがある。それは「年金は貯蓄だ」というものだ。公的年金というのは我々が毎月支払っている年金保険料を、国が個人口座を作ってそこへ積み立てて運用しているのではない。日本の年金制度の基本は世代間扶養と言われる賦課方式(=現役世代から徴収した保険料をすぐに年金支給に回す方式)である。実際は徴収した保険料に国庫負担を加え、それでも不足すると積立金を取り崩して充てる。(この積立金は、厚生年金では現時点で5年間弱、保険料収入や国庫負担がなくても年金を支払い続けられる額があると報告されている。また2004年の年金改革では2100年時点で1年分の余力を残すための設計変更がなされた。)



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2007年11月11日「年金騒動を斬る(1)」
https://roumu.com
/archives/51156740.html


(小山邦彦)