「ほどほど族」の台頭

 昨年12月7日の日本経済新聞の一面特集「働くニホン」では、最近「出世を望まないビジネスマン」が増加傾向にあるとし、「仕事に打ち込んでも報われるとは限らない。ならば、ほどほどでいい…」と考える若者達を「ほどほど族」という表現で紹介していました。こうした傾向は、私もウスウスは感じてはおりました。特に最近の若い人材にはそうした傾向を感じます。これは、最近の若い人たちの気質の問題なのでしょうか、それとも組織や社会の構造的な問題、はたまた組織における教育の問題なのでしょうか。


 気質という面から見ると、同記事の中で、日本では仕事に「意欲的でない」「どちらかというと意欲的でない」という人が計72%に達したとあります。昔から「2:6:2の法則」といわれるように、集団では必ず働き者2割、怠け者2割、どちらともつかない者が6割という比率で出現するといわれます。その法則に照らしてみると、この72%という数字も必ずしも悲観するものでもなく、ひょっとするとずっと昔からそうだったのかもしれません。確かに世の中が豊かになるにつれ、ハングリー精神が失われつつあるとか、欲のない人が多いとかいわれますが、本当にそういう(気質を持った)人材が増加しているかどうかは定かでありません。


 それでは、組織や社会の構造、組織における教育問題という面から見るとどうでしょう。組織、社会構造という点からいえば、現在と過去には大きな隔たりがあります。バブルが弾けるまでは右肩上がりの高度成長により、日本という国も、そこに属する企業集団もどんどん成長し、多くのポストを生み出し、多くのやりがいを創造してきました。ところが昨今といえば、格差社会といわれるように、企業間の格差、組織の格差、個人の格差があらゆるところで進展し、2割の人に富もやりがいも集中し、8割の人にはなかなかそうしたものが実感として得にくい構造になりつつあるのではないでしょうか。


 次に教育という点ではどうでしょうか。既に学校教育というものは、優秀なビジネスマンを輩出する上では機能しなくなっていますから、組織がその役割を担っているといっても過言ではありません。その教育の主体者である企業が、社員のモチベーションを高めるための教育を正しく行っているかという点でもいささか疑問が残ります。


 冒頭の話ではありませんが、「仕事に打ち込んでも報われるとは限らない…」という言葉にあるように、働く目的が「報われること」に重きを置きすぎている感があります。果たしてこれは正しいことでしょうか。まず一番に自分の権利を考えるような人に良い仕事ができるとは思えません。そういう考え違いをしている以上、絶対に報われないと思いますが、いまの時代はどちらかといえば、そうした「自分」が優先される時代のように感じますし、企業内教育もそうした方向でモチベーションを高めようと仕向ける傾向があるように思います。こうした間違った教育を改め、自らの(本当の)成長を実感できるような教育が、組織の中でしっかり行われれば、きっと「ほどほど族」は減っていくと思います。これは彼ら若者の問題ではなく、その若者を教育する側の問題なのです。



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(永井晶也)


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